(熊本城)
はじめに
道の駅うきの駐車場は広く、どこで車中泊しようかとウロウロしました(^^;
大型トラックやEV車充電器、前面道路から離れた建物の裏あたりにしたおかげで、音などもあまり聞こえず比較的静かでした。
朝方は6度と結構寒かったですね。10度を下回ると寒く感じますね(^^;
薄めのシュラフに電子毛布をかけて寝ていますが、電気を入れなくてもなんとか寝れる温度でした。
朝は道の駅に商品を持ってくる方々でにぎわっており、車中泊していた方はほとんど居ませんでした。
今日は熊本城の復旧状況を見学し島原に行きます。
熊本城です
2016年熊本地震で石垣が崩れるニュース映像を思い出します。
馬具櫓から始まる長い石の塀です。
あれから4年、天守閣の外観は復旧が終り、来年4月には内部も見学ができるようです。
熊本城ミュージアムわくわく座で、熊本城のVR画像で見学ルートや見どころを案内されてから、現地を見ていきます。
今はなかなかVR技術が凄いですね。見どころを事前に画像を動かしながら説明されるので後の見学がしやすいですね(^^)
他にも震災後のお城の中や外壁、石垣など被害状況の資料映像が見ることも出来ます。
地震で崩れた様子をプロジェクトマッピングでわかりやすく見せるようになっています。
かごや馬に乗る体験もできるようになっています。
ここにも顔出しがありました。
これも顔が出せます。
城以外の展示もあります。
震災後に特別見学通路が作られ、現状を見学しやすくされています。
車いすの方対応等でスロープやエレベータも設置されています。
古い石垣と後から増設した石垣が見れるところです。
全て復旧するまでおよそ18年程度かかるそうです。
今日の昼食です
熊本城構内にお土産や食事するお店が連なっている「桜の小路」があります。
熊本県ではくまモンがあちこち当たり前のように使われていて、マスコットキャラクターがこんなにも親しまれている県は珍しいですよね(^^)
この限定看板にひかれて入りました。
もちろん、イカソーメンとシラスの海鮮丼です(笑)
島原へフェリーで移動です
島原へは陸路で湾を回ると結構時間がかかるので、熊本港から島原港行きの航路より安い、有明フェリーの長洲港から多比良港行きのフェリーに乗りました。
フェリーに車が乗るところが2階建てになっています。瀬戸内のフェリーでは無かったので珍しいです。
2階に乗る車が通る橋です。
私はルーフラックを載せていて車高が高かったので、トラックと一緒に1階でした。
雲仙の山が見えてきました。
この後はがまだすドーム(雲仙岳災害記念館)に行ってみます。
がまだすドーム(雲仙岳災害記念館)です
フェリーで45分で多比良港に到着し、島原にあるがまだすドームに行ってみました。
雲仙普賢岳の噴火による自然の驚異と災害の教訓を風化させることなく後世に残し、火山や防災、ジオパークまで学ぶことが出来る復興メモリアル施設です。
ここにもありました。
土石流被災家屋保存公園です
実際に被害のあった家屋が移築保存されています。
噴煙のあがる平成新山です。
となりの眉山です。
今日の宿泊の場所です
休暇村雲仙にしました。
宿泊の受け入れは今日までで閉館となるそうです(^^;
地元の方などが泊まられてご挨拶されたり、名残を惜しまれていました。
長年この施設で働いてきた方は、慣れ親しんだ職場が無くなるのは寂しいですね。
メダルは残っていて間に合いました。
ここも温泉ではありませんでした。最後は温泉で〆たかったところです(笑)
ハーフバイキングの会席です。
九州の休暇村のもう1箇所、志賀島には行けませんでしたが次の楽しみにします。
雲仙界隈は観光スポットが多く、入りたい温泉もあるのでまた来ますね(^^)
今日の日本酒です
休暇村雲仙のメニューにありました。長崎県の地酒 普賢岳の特別本醸造です。
若干甘く感じましたが淡麗で飲みやすいですね。
まとめ
九州で過ごす夜も一旦今日で終わりです。明日は広島に戻ります。
23日以降の移動ルートです。
九州のダムカードも佐賀県と長崎県を残すだけになりました。
旅をしていると自然災害の被災地に行くこともあります。
自然災害には人は無力ですが、どこの地域も復興に向けて人の力強さを感じる旅でした。
この1か月天気にも恵まれほとんど傘を使うことがありませんでした。
今日は結構寒く、冬の訪れを感じさせる1日でした。
次はいよいよ冬の楽しみ、スノーボードをするために長野市に短期移住です。
日本酒も美味しいのがたくさんありそうですね。野沢菜漬けやおやきも楽しみです。
新居に入り長野の生活が始まったら記事を公開しますね(^^)
1か月間ダム旅etc南九州編のブログをお読みいただきありがとうございました m(_ _)m
PS:今回のダム旅etc南九州編では延べ4800kmの運転でした。
12月1日の雲仙から広島へ戻るGPSロガーのデータがありませんが、1か月間以下のルートを移動していました。